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神山健治さんの語りたくなる1本は…

『リリイ・シュシュのすべて』

監督自身が遺作であっても悔いはないと思える映画が好き
岩井俊二監督作品が2本セレクトされてますが、「リリイ・シュシュのすべて」を選ばれたのはなぜですか?
公開当時、遺作を選べるなら「リリイ・シュシュのすべて」を選ぶと、岩井さんがご自分でおっしゃっていたと思うのですが。恐らく、岩井さんの映画の撮り方が次のフェーズに進んだのがこの作品で、ここからドキュメンタリーのような撮り方が深まっていった。ご本人にお話を伺ったことがあるんですけど、この作品ではすごく(カメラを)回してるそうなんです。お葬式のシーンなどは数カットしかないんですが丸1日かけて葬式を実際にあげて撮っているとか、蒼井優さんと市原隼人くんが電車に乗ってCDを聴くシーンも脚本にあるセリフは最初の1行だけ。しかし、カットをかけずに回しつづけ、その後のシーンは全部アドリブ。本編で使用されたセリフは最初になかったもので、撮影中に岩井さんがこの映画の中で本当に言いたかったことはこれなんじゃないかと気付いたそうです。ここから作風が確立されて、「花とアリス」につながっていったのかなと。長回しで意図せずに撮ったシーンを使うことで、作品に違った意味性が生まれる。半分自覚的で、半分無自覚に撮られていると思うんですけど、その中に生まれる奇跡がある。
長回しをすることで、“本当”に近付いていくと?
そうですね…。アニメーションの映像と実写の映像は真逆の意味性を持っていて、アニメは全部ウソの作り物だからちょっと“本当”を入れるとすごく“本当”のように見える。わかりやすい例で言うと宮崎駿監督は食べ物のシーンをすごくおいしそうに描きますが、簡単な絵だとしても“照り”を入れるだけですごくおいしそうに見える。全部が作り物だからこそ、本当を描きやすい。でも、実写の映像は全部が本物だから、ウソばかり映ってしまう。岩井さんは恐らくウソが嫌だから、本当っぽくなるまで撮りたい。そうすると役者から自然と(セリフが)出てくるまで待つことになるのではないでしょうか。
作家性が溢れている自伝的な作品に惹かれる
「リリイ・シュシュ-」と同じように感じた作品はありましたか?
そうですね、リュック・ベッソン監督には、岩井さんと同じ匂いがすると思いました。「グラン・ブルー」はリュック・ベッソン自身が役者たちと一緒にカメラを担いでロケ地を回って撮影したそうですが、それは彼も“本当”が撮りたい人だからだと思うんです。リュック・ベッソンはダイバーになれなかった自分を主人公のジャック・マイヨールに重ねて撮影した。つまり、自伝的な映画でもあるんじゃないですかね。
自伝的かつ、遺作でもいいと感じられる作品はつい語りたくなるのでしょうか?
そうですね。フェルナンド・メイレレスの「シティ・オブ・ゴッド」もそう。ギャングが跋扈する世界一危険な街で、主人公がカメラマンに成長していく話でもあるのですが、これもある種、自伝的な映画かなと。実際に監督自身が育った街そのものなんでしょうね。映画で描かれた世界は。
ブラジルのスラム街で実際に撮っているんですよね。
ええ。その街を知らないと撮れない作品で、凄みが出ている。そういった作品というのは、デビュー作に多い気がします。モチベーションの高さや、映画監督としてやりたかったことが最初に爆発するから。ただ、監督には2種類いて、最初に爆発する人と、撮っているうちに出来上がってくる人がいる。リドリー・スコットやスティーヴン・スピルバーグは後者なのかなと思います。スピルバーグはアイディアマンで新しいことを次々にやっていく映画監督という印象が強かったのですが、「プラベート・ライアン」や「ミュンヘン」辺りから作家性が確実に上がった。ユダヤ人であるルーツから「シンドラーのリスト」は撮ったのではないかと思うのですが、彼はそこからさらに“映画人”になっていった。ユダヤ人以上に“映画人”になった。映画人としてヒューマンドラマを撮り続けようとしているのではないでしょうか。晩年になるに連れて映画人になっていく姿は尊敬すべき映画監督だなと思います。
最後に監督作である「東のエデン」についてもぜひ伺いたいのですが。
作っているときは、常にこれが遺作になるかもしれないという思いを込めていますが、実際にはまだ遺作にはできないですね(笑)。ただ、「東のエデン」はテレビシリーズから映画のように制作していて、(映画版も含めて)全部見た時に1つの映画になるようにしようと考えながら作っていました。テレビシリーズから映画版までを1つの映画と捉えるとかなりの大作になるかとは思います。そういう意味ではこれが遺作になったとしても悔いのない作品ではありますね。
今回、改めて観られる方もいると思うのですが、知っているとさらに楽しめるポイントを教えていただけますか?
ハリウッドでは同じ監督が毎年世界を滅亡させていたりしますが(笑)、僕は自分の作る作品に対して、無責任でありたくないと思っているんです。なので、「攻殻機動隊S.A.C.」シリーズは我々が住んでいる世界の遠い未来で、「東のエデン」はその手前の近未来だと思って作りました。作品を、絵空事だけではない現実と地続きの物語としたいと。だから、リンクしている部分があるんです。例えば、「東のエデン」の飛行機事故で2人生存者がいますが、「攻殻機動隊」では草薙素子とクゼが6歳の時に飛行機事故に遭い、全身義体にならなくてはいけなくなった。ということは、「攻殻機動隊」の素子とクゼは28歳ぐらいなのかな?なんて。
そこがつながってるんですか?
これは個人的な“想い”なので公式設定ではないですが(笑)。それから、僕が映画好きということもあって、いろいろな作品を織り交ぜながら作っています。「エデンの東」も直接的なセリフが出てくるわけではありませんが、元ネタを見つけてもらうと面白いんじゃないかな?滝沢がネットで演説する最後のシーンは「独裁者」をオマージュしていますし、記憶をなくした男は「ボーン・アイデンティティー」から着想したアイディア。「ベイブ」や「グラディエーター」も脚本を作る際に参考にしました。虐げられた者が自らの能力で状況を打破していくのが共通点で、そういう作品を基本的に下敷きにしているんです。それから「スワロウテイル」もオマージュしているシーンがあるので、見つけてもらうと面白いと思います。指鉄砲で撃つシーンがどちらにもありますので、両方のシーンを観比べてみてください。
リリイ・シュシュのすべて
ドラマ
田園が美しいある地方都市。中学二年の蓮見雄一 (市原隼人) は、かつての親友、星野 (忍成修吾) にいじめられ、窒息しそうな毎日を送っている。唯一の救いはカリスマ的歌姫リリイ・シュシュの歌声だけ。自らが主宰するファンサイト「リリフィリア」の中にいるときだけが本当の自分でいられる瞬間だった…。

神山健治さんのマイリスト

※各作品のHuluでの配信には期限がございます。

峰竜太
神山健治(かみやまけんじ)
1966年3月20日生まれ、埼玉県出身。
アニメーション映画監督、脚本家。「STEVE N' STEVEN Inc.」代表取締役共同CEO。2002年、映画「ミニパト」で初監督。「攻殻機動隊S.A.C」シリーズ、テレビシリーズ「精霊の守り人」、映画「009 RE:CYBORG」などを手掛ける。オリジナル作品「東のエデン」はテレビシリーズと映画2作が製作された
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